
インドは神様が一杯。八百万の神様のいる日本と良く似ています。
その中でも神の上の神と言われているのがクリシュナです。(シバ神や他の神が一番と言う人もいますが、、、。)
この女性はクリシュナに歌を捧げて恍惚となっています。

ガネーシャ神はシバ神の息子で人気があります。
仏教に取り入れられて日本では聖天様として祭られています。生駒の聖天や待乳山聖天などが有名です。
足元のネズミはガネーシャ神の乗り物と言われています。どのようにして乗るのでしょうか?
近世の聖者ラーマクリシュナ(1836-1886)です。後ろに見えるのはカーリー女神です。カーリーは恐ろしい姿をしていますが、この人にとっては宇宙の母なる神でした。
悪魔にとって、これほど恐ろしい神はありません。
インドの映画では邪悪な行者がよくこの神を祀って霊力を得ようとします。
同じ神を祀ってもその心根によってつながる世界が違うということでしょうか?

セラフィム
ロシアの聖人セラフィム(1759年 - 1833年)がクマにエサをやっています。この人が亡くなって70年後に遺体を掘りおこしたところ腐ってなかったことで有名です。高い境地の聖者にはこういう現象がよくあるそうです。


インドのパラマハンサ・ヨガナンダ(1893-1952)の遺体も20日あまり経っても生前と全く変わりませんでした。
「あるヨギの自叙伝」はアップルの創業者スティーブ・ジョブズの愛読書として有名です。

ババジ。(ババは父。ジは敬称)
名前、生年は不詳。現在まで数世紀にわたりヒマラヤに肉体を持って生きていると言われます。
姉はマタジ(マタは母。ジは敬称)。この方も今もガンジス川のほとりの地下洞窟に生きておられるそうです。
ババジの存在はヨガナンダの著書によって一般に知られることとなりました。
ヨガナンダはマハトマ・ガンジーにクリヤヨガの指導をしました。
ビートルズにも影響を与えています。
最後列の左端にいるのがヨガナンダの師のスリ・ユクテスワで、ババジの孫弟子にあたります。

メンバーの一人ジョージ・ハリスンはクリシュナの帰依者でした。エホバもアラーも仏陀もその根源はクリシュナだと言っています。
15世紀の聖者チャイタニアです。クリシュナを讃えて歌っています。クリシュナの化身と言われています。




トラやライオンも踊っています。聖者の愛の前には敵はいません。万物に敵意を捨てると、このようになるそうです。ヨガナンダの師のスリ・ユクテスワは毒蛇を手拍子で踊らせたそうです。
ツカラムなどの昇天

16世紀のインドの詩人・歌人ツカラムTukaramです。人生で一番大切なことは神(クリシュナ)をいつも想い讃えることだと説きました。
最後には神の国から迎えが来て生きたまま昇天したと伝えられています。
エリヤの昇天。(旧約聖書 列王記下2:11 )
『火の車と火の馬があらわれて、ふたりを隔てた。そしてエリヤはつむじ風に乗って天にのぼった。』
洋の東西を問わず、聖者のお話には共通点があって興味深いですね。

地上にいるのがエリシャ。天に昇っているのがエリヤ

クリシュナの偉大な献身者ミラバイは16世紀の北インドのある小国の王女でしたが追放されて吟遊詩人になりました。
伝説によれば、ミラバイ追放後、国が傾いたため聖女を追放した罰があたったということになり大臣が迎えに来て帰国の要請をしました。
ミラバイは最後に寺で踊らせて欲しいと言うと中に入り扉の鍵を閉めました。
しばらくは歌う声が聞こえていましたが声がしなくなったので扉を開けてみるとミラバイのショールがクリシュナ像にかかっているだけで誰もいなかったということです。神と融合した(生きたまま肉体を消した)と言われています。
ガジェーンドラモクシャ
(ゾウ王ガジェーンドラの救済)
ゾウの王ガジェーンドラは前世は南インドの王様でヴィシュヌ神の敬虔な信者でしたが、ある事情によりゾウに生まれかわりました。
ある日、湖に水を飲みに来たところをワニに襲われ水の中に引きずり込まれそうになりました。ガジェーンドラとワニは、それから長きにわたり戦いました。段々とガジェーンドラが弱り、死を目前にしたとき彼はヴィシュヌ神を思い出したのです。
彼はハスの花を摘み取り天に掲げるとヴィシュヌ神に祈りました。
するとどうでしょうか? ガルーダに乗ったヴィシュヌ神が現れ、円盤(チャクラ)をワニに向けて投げつけワニの首を切り落としました。ガジェーンドラはヴィシュヌ神によって救済され神の国へと昇天しました。
なお、このワニは元は神々の一人でした。あることが原因でワニに姿を変えられていたのです。彼も救われ元の姿に戻ることができました。

ヴィシュヌ神の乗り物はガルーダという名の鳥です。ガルーダインドネシア航空の名前はここから来ているようです。なお物騒な話ですがパキスタンの弾道ミサイルはガウリ(シバ神の妃の名前)、インドのミサイルはアグニ(火の神)です。神々の名前を使うのはお国がらでしょうか。
マヒシャースラ・マルディーニ
(悪魔マヒシャーの討伐)

かつて悪魔が地上を征服したとき、ヴィシュヌ、シバ神、ブラフマー神ほか多くの神々が力を結集して作り上げたのが女神ドルガーです。この絵は女神ドルガーが悪魔を討伐するところを描いています。
女神ドルガーの祭りは毎年、秋に行われ、学校や会社は休みになります。特にベンガル地方では盛大に催され、まるでクリスマスと正月が一緒に来たみたいな感じになるそうです。
なお女神ドルガーの怒りが頂点に達したときに、その額から生まれたのが女神カーリーです。
ですから美しい女神ドルガーも、恐ろしい女神カーリーも一体と言うことになります。女性は優しい存在でもあり、恐ろしい存在でもあります。
ドルガーはシバ神の妃とみなされたり、クリシュナ神の妹とされたりします。いずれにせよ宇宙の最高神の一つの姿ということになるようです。
女神を讃える歌のリンクを貼っておきます。インド人でこの歌を知らない人はいないでしょう。
ナラシンハ(ヴィシュヌ神の化身)

悪魔ヒラニヤカシプは厳しい修行によってブラフマー神から恩寵を得ます。それは神々にも悪魔にも人にも、天でも地でも、どんな武器でも殺されないというものでした。
不死身の体を得たヒラニヤカシプは天国の王インドラをも征服し暴虐の限りを尽くします。神々の嘆きにこたえヴィシュヌ神はヒラニヤカシプが息子のプラフラーダを迫害したときに自ら必ずヒラニヤカシプを滅ぼすであろうと予言します。
プラフラーダは生まれつきヴィシュヌの敬虔な信者だったので父は信仰を捨てるよう強要しますが決して聞き入れようとしません。
そのためプラフラーダは様々な災難(崖から突き落とされる、大蛇に襲われる、火の中に投げ込まれる、毒を飲まされる等)にあいますがヴィシュヌに守られ何一つ傷つくことが有りませんでした。
怒り狂った父ヒラニヤカシプがプラフラーダに「お前の信じるヴィシュヌはどこにいるか」と聞くと、「どこにでもいます」。「それならばこの柱の中にもいるのか」と聞くと、「はい、いらっしゃいます」と答えました。
でかした、これでやつを殺せると喜んだヒラニヤカシプが柱にむけて斧を振り下ろした時、柱の中から人獅子ナラシンハが雄叫びをあげ現れ、自分の膝の上で殺してしまいました。
プラフラーダがナラシンハに賛美の歌を捧げると恐ろしい唸り声をあげていたナラシンハは静かになり、ヴィシュヌの姿を現すのでした。
テルグ映画 バクタ・プラフラーダのクライマックス
コブラで殺そうとするが、、、
プラフラーダが様々な苦難を乗り 越えてゆくところは、まるで観音経を見るようです。「かの観音の力を念ぜば、一毛をも損ずること能わじ。」ヴィシュヌ神と観世音菩薩には共通点がありますね。
なおインドの人は信仰深いので、映画の中で結構、宗教儀式が登場します。シンハ(ライオン)という名のテルグ映画での一場面がきれいでしたのでリンクを貼っておきます。
アンダル(南インドに現れた女神)
8世紀ごろの南インドのお話です。
ある日の朝、ヴィシュヌチットがヴィシュヌ神に捧げる花を摘みに庭に行ったところ、ツルシの木の下で女の子の赤ん坊を見つけました。彼は神からの授かりものとして大切に育てました。
彼女は生まれつきクリシュナ(ヴィシュヌ)を熱烈に愛し、いつもクリシュナの事ばかり話しました。また寺院ではヴィシュヌの像に話しかけたり、その前で踊ったりしていましたが、やがてクリシュナを自分の夫と思うようになりました。
少し大きくなったある日、ヴィシュヌ神に捧げる花輪を彼女が首にかけているのを見て父(ヴィシュヌチット)は動転し、きつく叱りました。それは大きな罪だからです。するとアンダルはこう言って泣くのでした。「私の心の中にヴィシュヌがいらっしゃるのに、どうしてダメなの」と。
その夜、父の夢にヴィシュヌが現れ、「これからはアンダルの首にかけた後に持ってきなさい」と言いました。

さて年頃になりましたがアンダルは縁談に聞く耳を持ちません。ある日、父の夢にヴィシュヌが現れ、こう言いました。「心配するな。お前の娘はラクシュミーである。寺院に連れて来るように」と。また寺院の神官の夢にも現れ「結婚式に必要な飾り物をアンダルの家に届けるように」と言うのでした。
翌日、花嫁衣装のアンダルに沿道の大勢の人が加わり、ドラムやほら貝を鳴らして寺院に到着しました。寺院の扉を開けると、どうでしょう。そこにクリシュナ(ヴィシュヌ)が待っていて、彼女を抱きしめました。その時、あたり一面がまぶしく光り輝き、やがてその光が薄くなった時にはアンダルの姿は消えていました。アンダルは15歳でした。
現在アンダルの生地にはヴィシュヌとアンダルを祀る壮麗な寺院が建っていて世界遺産になっています。また、アンダルはたくさんのクリシュナを讃える歌を作りました。その歌は今もインドの結婚式で歌われているそうです。


ラクシュミー(ヴィシュヌの伴侶)

クリシュナとアンダル

アンダル寺院
注:クリシュナをヴィシュヌの化身と見る見方と、クリシュナをヴィシュヌの本体と見る見方があります。いずれにせよクリシュナとヴィシュヌは不離一体とされています。クリシュナが2本の腕を持つのに対しヴィシュヌは4本の腕を持ちます。
クリシュナ 牧女(ゴーピー)の服を奪う
クリシュナが子供の時のある秋のお話です。クリシュナの魅力の、とりこになった牧女(ゴーピー)たちは女神ドルガーに「どうかクリシュナの奥さんにしてください」と願をかけます。そして一ヶ月間ドルガーの像に白檀や果物、お香などを供えてお祀りしました。その純な願いを知ったクリシュナはいたずらをすることにしました。
ゴーピーたちがヤムナ川で水浴びをしているときに、その衣服を盗んで木にかけました。それに気づいたゴーピーたちが服を返すようにお願いしましたが、クリシュナは一人一人裸で上がってくるように求めます。
初めは恥じらって川から出てこようとしなかったゴーピーたちですがクリシュナの言葉にはあらがえず、服を受取りに上がってきます。女性が男性に裸を見せるのは夫の前でのみです。クリシュナはゴーピーたちを妻として受け入れたわけです。
この話は、単なるいたずらの話ではありません。羞恥心を捨てること、神の言葉に素直に従う事など、深い意味合いがあるそうです。
このできごとから約一年後の秋、満月の夜にクリシュナはゴーピーたちと神聖な愛の踊りを繰り広げます。
クリシュナ8歳の時のお話です。
ヴァーマナとバリ王
毎年8月末から9月初めにかけ南インドのケララ州(人口約3500万人)ではオーナム祭が盛大に催されます。
かつての偉大な王バリが国民に祝福を与えるために1年に1回帰ってくるとされ、町では王をお迎えするため、きれいに花で飾り立て正装で出迎えます。
学校も会社もその間は休みとなりご馳走を食べて楽しい時間を過ごします。

花びら一枚一枚で花の絨毯を作っています。


プラフラーダの孫のバリ王の権勢は大きく、ついにインドラを追い出し天界をも支配しました。
インドラの母の敬虔な祈りにこたえてヴィシュヌはその子供となって生まれてきました。
少年ヴァーマナは祭事中のバリ王のもとに訪れます。何でもあげようというバリに対し、3歩で歩けるだけの土地が欲しいと言います。小さな願いと快諾したバリでしたが、ヴァーマナは巨大な姿になって一歩目に地上を、二歩目に天界をまたいでしまい三歩目の置き場がなくなってしまいました。バリ王はヴァーマナに対し足を自分の頭の上に置いてくださいと頼むのでした。
ヴァーマナの自尊心は打ち砕かれました。彼の富はすべて奪われてしまいましたが、彼の魂はヴィシュヌによって救われるのでした。
決して約束を反古にしないバリ王の誠実さと、ヴィシュヌに対する全託の姿勢は今も讃えられています。
クリシュナがインドラを懲らしめる
クリシュナが子供の時の話です。
村人たちがインドラを祀る準備をしていると、クリシュナがやってきてやめるよう説得しました。その結果、村人はお供えを山の神とお坊さんと牛たちに捧げてしまいました。
それを知るやインドラは大激怒して村に激しい雨や風を降らせ、村が洪水のようになってしまいました。村人たちはクリシュナのところに助けを求めて駆けつけます。するとクリシュナは片手で軽々と山を引き抜くと傘のように村の上にかぶせ7日間、山を支え続けました。
びっくり仰天したのはインドラです。慌てて地上に降りてきてクリシュナの足元にひざまずき、考え違いを詫びるとともに主を心から賛美するのでした。クリシュナの許しを得てインドラは天国に帰ってゆきました。
ちなみにインドラは日本では帝釈天(たいしゃくてん)と呼ばれています。
クリシュナはインドラが憎くてこういう事をしたのではありません。インドラが世界の王を気取り高ぶるのを戒められたわけです。富と権力を握ると神を忘れ、自分こそが神だと思う人が今も後をたちません。
ソロモンの格言「高ぶりが来れば恥もまた来る。知恵はへりくだる者とともにある。」 (箴言11.2)

クリシュナ大蛇の頭で踊る
ヤムナ川には大きな湖があり頭が百もある大蛇(カリヤ)が住んでいました。
その蛇は猛毒を周りにまき散らし、上空を飛ぶ鳥も落ちるほどでした。クリシュナはそれを退治しようと湖に飛び込まれました。それを知った村人達は恐怖にかられ気を失う人もいました。
恐ろしげに湖を見ていますとクリシュナが大蛇とともに姿を現しました。カリヤがクリシュナの体に巻き付き絞め殺そうとした時、クリシュナの体が巨大になったのでカリヤは苦しくなりクリシュナの体を離しました。するとクリシュナは大蛇の頭の上に飛び乗って踊りはじめたのです。カリヤはその苦しみに耐えかねて死にそうになっていると、その妻達が現れ、クリシュナを讃えカリヤを助けてくれるよう懇願しました。
カリヤは尊いクリシュナの足に踏まれたことにより心根を入れ替え、クリシュナの許しを得て、海に帰ってゆきました。

クリシュナとアルジュナ
マハーバーラタ戦争は五千百年前に北インドで 繰り広げられた天下分け目の戦いです。5王子軍と100王子軍が約18日間にわたり血で血を洗う戦いを繰り広げました。5王子軍の英雄アルジュナの御者をクリシュナがつとめました。
戦いを前にしてアルジュナは敵方に自分の師や親類、友人などがいるのを見ると武器を投げ捨ててしまいます。多くの人を殺して勝って何の意味が有るのかと。
クリシュナは言います。何を愚かなことをいうのだ。お前は軍人ではないか。軍人の義務を放棄して逃げたならば末代にわたって恥となろうと。クリシュナに説得されてアルジュナは武器を取り直し、戦いに臨むことになります。
有名なヴァガバッド・ギーターはこの時にクリシュナからアルジュナに語られたとされ、現代に至るまで、人間のあり方、魂の本質について深い示唆を与えています。肉体はつかの間のものだが魂は永遠という原点から静かに語られます。

戦場に向かうクリシュナとアルジュナ

クリシュナとカルナ
マハーバーラタが歌舞伎になりました。大きな杖を持った人は尾上菊五郎扮するクリシュナ。弓を引いている人は尾上菊之助が扮するカルナ。(アルジュナの兄で敵方の100王子軍 につく)

アルジュナに道を説くクリシュナ
クリシュナ 宇宙相をアルジュナに見せる
クリシュナから色々と教えを受ける中で、アルジュナの心に神の姿を見たいという思いがわいてきました。その願いにこたえクリシュナはアルジュナに神聖な眼を与えました。
その時アルジュナが見たものは無数の口や目、腕や足を持ち、その腕には武器や花環などの絢爛たる装身具を身にまとい、あらゆる神々、聖賢、竜族をも内に含む姿でした。その口からは激しい炎を吐き、その燃え盛る口の中に勇猛果敢な王や将軍が蛾の群れが炎に飛び込むがごとく入ってゆきます。まるで千の太陽が燃え上がるかのような光に目がくらんだアルジュナは驚きに茫然自失してしまいます。アルジュナは主に合掌し、どうか普通の姿に戻ってくださいと祈るのでした。

ヴィシュヌ神の宇宙普遍相をヴィシュヴァールーパと言います。あらゆる姿形を持つもの。一切に遍満するものという意味です。ユダヤ教、キリスト教のヤーヴェと同様の意味を持ちます。
ヴィシュヴァールーパ
クリシュナの元に駆けつける両雄(大戦前)

ドルヨーダナとアルジュナ
マハーバーラタ戦争の起こる前、ドルヨーダナ(100王子軍の大将)とアルジュナ(5王子軍の将軍)がクリシュナ王の宮殿に駆けつけました。相手を味方に引き入れるには早く頼んだもの勝ちという風習があったので両雄があわててクリシュナのところにやってきました。
ほぼ同時に到着した両者でしたが、クリシュナは睡眠中でした。ドルヨーダナは我先に部屋に入ると恐れ多くもクリシュナの頭のところで、どっかりと腰を下ろし、早く起きろと思って待っています。一方、アルジュナは足元で合掌して静かに目覚めを待っています。
部屋に先に入ったのはドルヨーダナでしたが、クリシュナが目覚めたとき最初に見たのはアルジュナでした。そのためクリシュナはドルヨーダナに提案します。私の全軍隊を取るか、それとも私一人(しかも自分は直接戦わないことにする)を取るか、どちらかをあなたが先に選びなさいと。ドルヨーダナは迷わずクリシュナの軍隊を選びます。一方アルジュナはクリシュナその人を選ぶことができて喜びで胸が一杯になりました。
マハーバーラタ戦争の帰趨はこの時に決したと言えるでしょう。
バーラタ王 鹿に生まれかわる


インドの偉大な聖王と呼ばれたバーラタ王は年老いて息子に家督を譲ると森に入りました。その理由はこの世の執着を断って神に心を集中することで 死後又は来世の幸福が約束されるとされてたからです。
バーラタは森の中でいつも心をこめてクリシュナ神を賛美し喜びにみちた生活をしていました。ある日、川辺で座っていますと、一匹の牝鹿がライオンの声に驚き川に飛び込みました。牝鹿はおぼれて死んでしまいましたが飛び込んだ際に子鹿を産み落としました。
バーラタはかわいそうに思いその鹿を育てることにしました。そのうち鹿がかわいくてたまらなくなりました。何をするにも鹿と一緒です。鹿の姿が見当たらないと、ひょっとしたら猛獣に食われたのかも知れないと心配で居ても立ってもいられません。やがて神への祭祀もおざなりになってしまいました。バーラタは死を迎えたときでさえ鹿の行く末を心配していました。
その結果バーラタは鹿に生まれ変わったのです。神の計らいによって前世の記憶を保持していたバーラタは自分の愚かさを激しく悔いました。彼は神の恩寵で次に再び人間として生まれかわり悟ってゆくのです。
人が死ぬ時に強く思ったものは、来世に影響を及ぼすと言われます。ですから、かわいいペットの事もゆめゆめ思わない方が良いようです。



忘れないで!

バーラタ 鹿を思いながら死ぬ
クリシュナの口を覗く母ヤショダー
クリシュナが子供の頃のある日、クリシュナの仲間の少年がヤショダーのところにやってきてクリシュナが土を食べたと言いつけました。ヤショダーはそれを聞くと、クリシュナにどうして土などを食べたのかと問いただしたところ、食べてないよ、嘘だと思うなら見てみたらどう、とクリシュナは口を大きくあけるのでした。
そこでヤショダーが見たものは、山や海、惑星、月、音、臭い、時間、意識、その他全宇宙の一切の姿でした。またその中には自分とクリシュナの姿も有りました。
ヤショダーは畏怖に打たれ、また頭が混乱し、一体どういうことだろうかとあれこれと考え出しました。それを見られたクリシュナはマーヤー(幻力)でもって母の記憶を消されましたので、ヤショダーはこれまでのように自分の子供と思えるようになりました。

ラーマーヤナ
インドでマハーバーラタと並び有名な物語にラーマーヤナという物語が有ります。
作者はもともとは強盗で生計をたてていました。ある日、獲物を物色していますと、ある聖者が通りかかりました。彼は命が惜しければ、何かを出せと脅すのでした。聖者は言います。「命が欲しければくれてやろう。ただその前にひとつだけお前に聞きたい。もしお前の妻や子供がお前の罪を共にかぶると言うのなら、命をあげよう」と。
彼は聖者を足止めして家に帰って、家族に 聞くと、「とんでもない、この悪党め」と罵られました。家族のために強盗をしてきたのに、その答えにショックを受けた彼は聖者のもとに戻るやその足下に身を投げ出しました。改心した彼はそこで長年苦行をしたため、その体の周りには蟻塚ができました。そのためヴァールミキ(蟻塚)と呼ばれるようになりました。やがて啓示を受けヴァールミキはラーマ神の物語を書いてゆきます。

ラーマ、シータ、ハヌマーンほか(池田運訳 ラーマヤンから借用)
このラーマヤナはサンスクリット で書かれていたため一般庶民が読むことが出来ませんでした。17世紀の偉大な詩人ツルシダースは庶民にわかる言葉で書きおろしました。その結果、広くラー マ信仰がインド全土に行き渡るようになりました。彼はヴァールミキの生まれ変わりとも言われています。マハーバーラタが深い哲理を含むのに対し、ラーマーヤナ は生類への博愛とラーマ神への純粋な信仰を説いています。インドだけではなくタイやインドネシアでも人気です。

ラーマーヤナを書くツルシダース

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バラジ(ヴェンカテーシュワラ)
世界で一番寄進額の大きい教会・寺院と言えば一位はバチカン、二位はインドのヴェンカテーシュワラ寺院です。この寺はパワーが最強と人気が高く、巡礼者数では世界一と言われますが、田舎にあるせいか日本人はほとんど行かないそうです。
毎日、早朝より僧侶によりバラジ(別名ヴェンカテーシュワラ=ヴィシュヌ=クリシュナ)の神像を沐浴させたり、香油を注いだり、様々な儀式が取り行われます。一日に数万人から数十万人が訪れ、毎日がえべっさん状態なので入場するのに何時間も待たされるそうです。お金を払えば少し早くしてくれるのはインド的です。
故事によればヴィシュヌがこの世に化身した時、お嫁さんへの莫大な支度金を財宝の神クベーラから借金したそうで、信者がその返済を助けるため寄進すると、その心を良しとしたヴィシュヌが大きな恵みを返してくれるそうです。
バラジが目隠しをしているのは、あまりにも光が強すぎるためと言われます。多くの信者はゴーヴィンダ、ゴーヴィンダと叫びながら賽銭や自分の髪の毛を奉納します。ゴーヴィンダとはクリシュナ神の別名で、ヴェーダの主、牛の保護者、感覚の支配者などの意味合いが有ります。

ヴェンカテーシュワラ寺院

バラジ
なお2011年にヴィシュヌを祀るケララ州最古の寺院スリ・パドマナーバスワミ寺院(世界で最も豪華なヒンズー教寺院/ギネス認定)の開かずの間から2兆円とも言われる財宝が発見されました。や はりヴィシュヌはお金持ちです。

スリ・パドマナーバスワミ寺院

まだ開かずの扉が一つあります。卓越した 僧のみが呪文で開く事ができると伝えられています。まるでインディ・ジョーンズみたい。

黄金のヴィシュヌ(32キロ)
ビッタラ(パンドゥランガ)


クリシュナは南インドのアンドラ・プラデーシュ州ではバラジと呼ばれ崇拝されていますが、中南部のマハラシュトラ州(人口約1億1千万人 )ではビッタラ(ヴィトーバ)とかパンドゥランガなどと呼ばれています。
プンダリカという人の親孝行を見たクリシュナが神の国から降りてきて彼の家を訪れました。彼はちょうど、親の体を揉んでいるところだったので、後ろを見ないで、「しばらくそこに座って待っていてください」と煉瓦を一つ投げました。ようやく親へのおつとめが終わり玄関に出て、そこにいらっしゃるのがクリシュナと知り仰天して平伏したプンダリカにクリシュナはニコニコして、「あなたの孝養に感心したので何でも良いから願いを言いなさい。」と言うのでした。「お会いできただけで充分です」というプンダリカでしたが、なおも求められると「いつまでもこの地にとどまって下さい」と言うのでした。
それを聞くやクリシュナは石の像に変わりました。今も多くの人の崇拝を集める石像は、誰が刻んだのでも設置したのでもなくクリシュナ自らが置かれたと言われています。
vithoba-rukmani 寺院

ラーマーヌジャの求道心


11世紀のインドの聖者ラーマーヌジャの逸話です。
彼が若い時、神聖なマントラ(真言)を伝授してもらおうと約150キロの道を歩いて師の元を訪問しました。しかし「お前を弟子にするつもりはない」と、つれなく断られしまいました。しかし、それにめげる彼ではありません。彼はその後、何度も訪れつづけ、18回目にして弟子として受け入れられました。
ついに秘密のマントラが彼に授けられた時、師は「このマントラは大変尊いものなので決して口外しないように」と念を押しました。ところが彼は、村に戻るやいなや寺の高い塔によじ登り、「村の皆さん、すばらしいマントラをいただいてまいりましたので聞いて下さい」と叫び、大声で唱えるのでした。
その噂を伝え聞いた師匠は烈火のごとく怒って、急いで彼のもとにやってきました。「お前は何ということをするのだ。地獄に落ちるぞ」と。彼は静かに答えました。「多くの人が救われるなら私は地獄に落ちてもかまいません」。この言葉を聞いた師は、はっと心を打たれ、あなたは偉大な人だと、彼に祝福を与えるのでした。彼は120歳まで生き、ヴィシュヌ神へのバクティ(信愛)を説き続けました。
なおこのマントラはオーム ナモー ナーラーヤナヤ(主ナーラーヤナに帰依し奉る)というものでした。
聖徳太子の心
聖徳太子と言えば、昔、学校で十七条憲法や冠位十二階を制定したとか教わりました。また多くの寺や神社を作ったり、施薬院などの福祉施設を作って貧しい人を救済したと言われています。えべっさんで人気の今宮戎も聖徳太子の創建だそうです。
遣隋使の小野妹子に携えさせた書状「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつが無きや」は隋の皇帝を激怒させましたが、『無知の蛮勇』ではなく国際情勢を読みぬいた一流のかけひきが有りました。今の政治家は爪の垢でも煎じて飲んだらよいでしょう。

聖徳太子は余りにも伝説が多すぎて本当に存在したとは信じられないと言う人もおられるようですが、日本人の美徳とする神仏を敬う心、憐みの心 、孝養の心、国を愛する心などを体現された方だと思います。四天王寺ではお坊さんが無料で絵解き法話をされていますので聴きに行かれてはいかがでしょうか。(詳しくは四天王寺のホームページをご参照ください)






聖徳太子絵伝(杉本健吉作)より
ハリスチャンドラ王の物語 ー 究極の試し

インドのベナレスにハリスチャンドラ・ガートという火葬場があります。その名のいわれとなったお話をご紹介します。
昔々、天国の宮殿でインドラが、聖仙たちに問いかけました。「今の世にサット(真理・善・清浄などの意)に生きる人はいるだろうか」と。バシシュタ仙は「ハリスチャンドラ王こそがその人だ」と答えました。それを聞いたヴィシュワーミトラ仙は、「結局、人間は環境に負けてしまうものだ。彼も同じに違いない」と主張しますと、二人の間で口論になり、それなら試してみようということになりました。
ある日ハリスチャンドラ王の宮殿にヴィシュワーミトラ仙がやってきて施しをくれと言います。王が「何でもお望みの物を差し上げましょうと」言いますと、「ならばお前の王国をくれ」と言います。王はわかりましたと、その場で気前よく王の座を与えるのでした。
しかしそれでもヴィシュワーミトラは納得しません。「王国はお前が稼いだものではないのでお前が稼いだお金が欲しい」と言います。ハリスチャンドラは粗末な服に着替えて王妃、子供と共に宮殿を去るのでした。途中ヴィシュワーミトラが幻術で多くの困難を与えますが彼の心は決して揺れることが有りません。
さてある町に来て仕事をさがしますが見つかりません。その時、彼の耳に奴隷を売る声が聞こえてきました。お妃が言います。「このままではみんな飢え死にしてしまいます。どうか私を売ってください」と。彼は反対しますが、奥さんに説得されて妻と子を売り、お金を仙人の付き人に渡しますが、お金は仙人の幻術により石に変わっていました。
落胆した彼は今度は自分を売ろうと決めました。そして民衆の前で、「私を買ってください」と叫ぶのでした。その彼を買ったのは誰もが忌み嫌う火葬場の親方でした。死体を焼いて幾ばくかの物をもらい生計を立てています。彼は大王から最低の身分へと一気に落ちてしまいましたが、その環境の中で一生懸命、親方の体を揉んだり、誠実にその職を果たすのでした。


火葬場の使用人は首切りの仕事もしなくてはなりません。ハリスチャンドラは茫然として、どうしたらいいのかわかりません。すると妻が言います。「どうかあなたの義務を果たしてください。あなたに首をはねられるなら本望です。来世もあなたと添い遂げられますように」と。そして静かに首を差し出すのでした。
彼はこれもまた神の思し召しと心を静め、斧を振り下ろそうとしたとき、忽然とヴィシュワーミトラ仙が現れて言います。「お前は女殺しと言われて恥ずかしくないのか。そういう不道徳な行いはやめなさい。やめればお前の国を返してあげよう」と。
しかしハリスチャンドラは言います。「私はこれまで真理(サット)に生きてきました。これからも真理に生きたいのです」と。そして再び斧を取り、振り下ろした瞬間、斧は美しい花環に変わりました。
一方、売られていった奥さんはそこで使用人となり、意地悪なおかみさんにこきつかわれます。ある日、子供が山菜取りに行った帰りに毒蛇に噛まれて死んでしまいました。彼女は号泣しながら一人で夜に亡骸を火葬場に運びました。そして薪に火を付けようとすると、男の声が聞こえました。「火を付けてはならぬ。火葬代として米や布を持ってきたのか」と。その時、月明かりに照らされた男の顔を見て驚きます。なんと自分の夫でした。二人は子供の遺体を前にして運命のなせるわざに涙にくれるのでした。そのまま火葬させてくださいと訴える彼女でしたが、火葬場の規則は変えられないと言う夫の言葉に従い、彼女は家に帰り米を工面して火葬場に戻ってくることになりました。
その途中、ヴィシュワーミトラ仙の幻術によって、彼女は王子殺害の罪をかぶせられ死刑を言い渡されました。そして兵隊達に縛られて夫のいる火葬場に引きたてられてきました。
ヴィシュワーミトラ仙は負けを認めます。あなたは偉大な方だ、とハリスチャンドラを祝福し、王国を返し子供も生き返らせてくれました。その場には多くの神々が祝福に現れました。実はハリスチャンドラの奥さんを買ったのはシヴァ神、こわいおかみさんはパールヴァティ、火葬場の親方はヤマ神の変装した姿だったのです。賭けに勝って得意げなバシシュタ仙に対し、ヴィシュワーミトラ仙は自分は後の世に彼のような人がいたことを示すためにしたのだと、言うのでした。この言葉が負け惜しみか、本心かは定かではありません。ヴィシュワーミトラ仙はラーマ王子の師として有名です。
スリ・ナトジ (クリシュナ)とヤムナ女神

パキスタンと国境を接するインド・ラジャスタン州(人口約七千万人)にナスドワーラという町があります。ここの寺に祀られているのがスリナトジ(スリナーサジShrinathji)=クリシュナ7歳の黒い像です。もともとクリシュナの生地マトゥラで祀られていましたがムガール帝国の侵略を避けるために17世紀にこの地へ移されたそうです。

新たな場所を探して神像を移送中、馬車がぬかるみに嵌って動かなくなったの を見た神官が、こここそが神が決められた場所だとして、ナスドワーラの地にとどめました。
上の絵の左にいるのが聖者ヴァラッバ、まん中はスリ・ナトジ=スリ・クリシュナ、右側のクリシュナに似た人がヤムナ女神です。スリナトジは左手でゴーヴァルダン山を持ち上げています。ヤムナ女神はクリシュナの主な妃の一人でありバクティ(主への献身)の女神と言われています。



牧女ラーダの献身
聖者ナーラダがクリシュナの宮殿に来ますと、クリシュナが頭がひどく痛い、このままでは死んでしまいそうだと言います。何か薬を持って参りましょうかと言うナーラダに対し、この病を治すには献身者の足の塵が必要だ言われます。
献身者として名高いナーラダですが、あなたの足の塵をくれと言われて、滅相もないと尻ごんでしまいます。ナーラダはルクミニーをはじめクリシュナの妃たちや、その他の聖者、梵天、シバ神にも頼みますが、そういう不敬を働いたなら地獄に落ちると皆に断られてしまいました。


ではゴーピー(牧女)の所へ行ってみてはとクリシュナに言われ、ブリンダーバンに行きラーダにその話をすると、ラーダは一目散にヤムナ川に走ってゆき川に足を浸して上がってきて足一杯に砂を付けました。ラーダの仲間のゴーピーたちも一緒にやってます。それに驚いたナーラダが言います。「あなたたちは地獄に落ちてもいいのか」と? ゴーピーたちは答えました。「かまいません。クリシュナが喜ばれることでし たら何でも致します。それだけが私たちの願いです」と。クリシュナがナーラダの持参したゴーピーの足の塵を額に付けると頭痛はあっという間に消えてしまいました。ナーラダの心にわいた自惚れを砕くためクリシュナが与えた教訓でした。

女神様(クリシュナの妃)もびっくり!

献身の重さ(サティヤバーマの改心)
ルクミニーとサティヤバーマはクリシュナの妃の中で双璧です。ルクミニーは繁栄の女神ラクシュミーの化身、サティヤバーマは大地の女神の化身と言われています。

サティヤバーマは大金持の王の娘で容貌が非常に美しいので傲慢になっていました。
ある日、聖者ナーラダがクリシュナの宮殿にいるサティヤバーマの前に現れて、「どうもクリシュナ様はあなたよりルクミニー様がお好きなようだ」と耳にささやきます。思い当たる節があるサティヤバーマは嫉妬心がメラメラと燃え上がりました。そしてナーラダの言葉に乗せられて、彼に誓ってしまいます。『もし自分がクリシュナの体重に等しいだけの財宝を用意できなければクリシュナはナーラダの奴隷になる』と。
財力には自信のあるサティヤバーマでしたが、クリシュナの同意のもと、両者を天秤にかけるといくら金銀財宝を積んでもクリシュナの方が重くて少しも動きません。到頭、クリシュナはナーラダの奴隷になってしまいました。困った顔をするクリシュナでしたが、ナーラダは大喜びです。
困りはてたサティヤバーマはルクミニーの元に駆け込み助けを求めました。その話を静かに聞いていたルクミニーはツルシの木(ヴィシュヌ神の象徴)から一枚の葉を抜き取ると、天秤の有る部屋に向かいました。そして一方の財宝をすべて降ろさせて、クリシュナに敬意をこめ静かに葉を置くと天秤が傾き、あっという間にクリシュナが持ち上げられてしまいました。
一体、どうしたことかと訝るサティヤバーマにクリシュナは言います。あなたが私のために使った沢山の財宝には献身が無く、ただあなたの所有感だけだった。一方ルクミニーは、たとえ1枚の葉であっても最大の愛と献身で捧げてくれたので価値があったのだと。
サティヤバーマは自分の傲慢さを心から恥じ入りました。すべてはサティヤバーマに気付かせるためのクリシュナとナーラダの計らいでした。

黄金のマングース


マハーバーラタ戦争も終わり、大王になったユディシュティラが盛大に大供儀祭をしていた時のことです。その会場に天から花びらがひらひらと舞い散ると一匹の大きなマングースが現れ、床を転げまわりました。そして恐ろしい鳴き声を上げたあと、人間の言葉でしゃべりだしました。「フン、この供儀祭は、貧しいバラモンのわずかな炒り粉にも及ばないのだ」と。それを聞いた周りの人たちの中には怒り出すものもいましたが、まずは話を聞いてみようと言うことになりました。
マングースが語り出しました。「あるバラモン一家が慎ましく生活していました。飢饉のためそのバラモン一家は数日間、何も食べていませんでした。ようやく手に入れた麦の粉で食事を作り、食べようとしていたところに客がやってきて食事を求めました。主人はどうぞどうぞと上座に座らせて、お召し上がりくださいと自分の分を差し出しました。客がぺろりと食べて、まだ足らなさそうな顔でいると、その妻がニッコリと私の分も食べてくださいと差し出しました。客はまだ満足しません。たったこれだけかという顔をしています。すると今度はその息子が自分の分を差し出しました。客はそれもあっという間に平らげてしまい、もっと欲しそうな顔をするので、息子の嫁が自分の分も食べてくださいと恭しく差し出しました。その客は、それを食べてやっと、おなかが一杯になりました。
客が静かに語り出しました。「誰しも、ひもじいときに自分の欲や怒りを抑えるのは困難です。しかしあなたたちは,自己を制し、心から清らかな布施をしてくれました。私はダルマ神です。さあ天車にお乗りなさい」と。
四人の魂はダルマ神によって梵天界へと運ばれて行きました

普通の人なら2~3人目で
ええかげんにせんかい!
おとなしく出りゃ、調子に乗りやがって。
すみません。私が悪うございました。(客)
私はその食事の場に行って床に寝そべり体をこすりました。そしてバラモンのこぼした麦の粉を舐めたとたんに頭と体の半分が黄金色になりました。それほどこのバラモンの功徳は大きかったのです。私は、もう片方も黄金色になりたくて、ここに来ましたが色は変わりませんでした。」そう言うと忽然と消えてしまいました。
献身は儀式の大きさで量られるのではなく、心の持ち方で量られます。また生物を傷つけない、足るを知る、誠実、自己抑制、真実などの徳も壮大な供犠に劣ることはありません。
絶体絶命 !
アルジュナたち5王子がドルヨーダナの奸計によって12年間、森に追放されていたときの事です。彼らが庵で食事を終えくつろいでいると、聖者ドルヴァーサスが突然、目の前に現れました。うやうやしく出迎え、ひれ伏す五王子にこう言います。「しばらく川に沐浴に行くので帰ってきたら弟子達(一万人)と共に食事をふるまって欲しい」と。古来より客は神様だと敬う習わしがあります。まして聖者が客人として来たときには精一杯の接待をすることは言うまでもありません。


アルジュナ達は太陽神から与えられた無限に食べ物が出る壺を持っていました。何万人分でも食べ物が出るのですが、食べ終わって洗ってしまうとそれ以上は出てきません。片づけてしまった今、どうしたら良いのでしょう。ドルヴァーサスは怒りの聖者と言われています。怒らせれば灰にされるかも知れません。妻ドラウパディは、夫が助かるよう、また妻としての義務が果たせるよう泣いてクリシュナに祈るのでした。
するとクリシュナが忽然と現れ、「食事をください」と言われます。「主よ、何をおっしゃるのですか。何も無いことはご存じでしょうに」と嘆く彼女に「あなたの壺を持ってらっしゃい。よく調べてみなさい」と言われて、壺の中をまさぐると、不思議なことに綺麗に洗ったはずの壺に葉料理のかけらが付いているのです。クリシュナはそれを手に取られて口に入れると、ああおいしかった、お腹が一杯になったと満足されました。

その時、ドルヴァーサスは急に満腹感を覚えました。そして、かつてクリシュナの献身者を呪詛して手痛い目にあったことを思い出しました。もしアルジュナ達の振る舞い物を食べられなかったら、どんな災いが降りかかってくるかわからない。ここは退散するにしくはないと逃げるように去っている途中、迎えの者に出会ってしまいました。「申し訳ないが今は何も食べられそうにない ので、またの機会にお願いしたい、そなたたちには祝福を与えよう」。ドルヴァーサスはそう言うと足早に去ってゆきました。
後の祭り(バラモンとその妻)

クリシュナが子供の頃、一緒に遊んでいた牧童達にねだられました。「クリシュナ、朝から何も食べてないのでお腹がすいて死にそうだよ。何か食べさせてよ」と。そう頼まれてクリシュナと兄バララーマは、言いました。「じゃあ近くでバラモン(祭司階級)たちが儀式をしているから、そこで僕たちの名前を出したら食べ物をくれるかも」と。そこで牧童達が、バラモンたちの所へ行って、「クリシュナとバララーマが食事を望んでおられます、分けてください」と言いましたが、子供のたわごとと取り合ってもらえませんでした。
すごすごとクリシュナの元へ帰って報告すると、それならバラモンの奥さんのところへ行ったらいいと、と言われ、バラモンの家の奧に入って、奥さん達に「クリシュナとバララーマのために食べ物をください」と求めると、彼女たちは大喜びして、弁当箱に食べ物を一杯詰めると、自分たちも一緒に行こうとしました。それを見た夫や親戚が止めるのも聞かずにクリシュナとバララーマのところへ一目散に走って行きました。彼女たちはクリシュナとバララーマに会えて喜びで一杯です。またクリシュナ、バララーマはおいしい食事を食べて大いに満足されました。帰りたくないと言う妻達に、「家に帰り、婦人の義務を果たしなさい、そしていつも心に私を想って生活するように」と優しく諭されるのでした。バラモン達は妻達の話を聞き、自分たちの不明に気が付きました。多くの教典を学び儀式に通じていたにもかかわらず、神への奉仕の意味合いがわからなかったからです。深く後悔したにもかかわらず、カムサ(悪魔の王)を恐れて、クリシュナ、バララーマに尊敬の礼を捧げに行きませんでした。バラモン達は考えすぎて、またしてもチャンスを逃してしまいました。