堀田和成先生について誤解を招くような情報が多いようなので、あえてこの場を借りてご紹介したいと思います。(文責筆者)
モーゼが十戒を授かったとされる山
略 歴
堀田和成(Hotta Wasei) 本名 廣三(平和に成りたいという願いから和成と改名された)
1926年1月 東京に生まれる。
13歳の時に釈迦の姿を見るという体験をする。
第2次世界大戦中、陸軍特別幹部候補生として軍務に服し、戦後は経済学を学び新聞記者となる。二十余年の記者生活・専門誌の編集をしながら信仰生活に入る。
1958年 40日間の禅定瞑想を行う。
1969年 イエス・キリストの姿を見る。
1977年 ある信仰団体を12月に離れられる。
1978年 1月初めより熊本山中にて21日間の禅定瞑想に励むおり、啓示を受け「虚心の祈り」を与えられる。
1978年8月 「ほうゆう」を立ち上げる。
1985年5月 偕和會(かいわかい)設立。
2013年3月没。
生前は膨大な著作を書き上げる。また講演会、個人指導など奉仕活動に身命をなげうたれた。なおGLAから派生したと見られる向きがあるようですが事実と異なります。
詳しくはご本人の著作「彼岸への道」をご参照ください。
正道の教えについて
著者の説く教えを正道(しょうどう)と呼んでいます。古来より人間の生き方に違いが有るはずが無く、まず生かされている事実を認め、愛と調和と奉仕に生きることを説かれています。
また人は本来は肉体ではなく、魂であって、永遠に生き続ける者であることを体験を通して詳細に語られました。
そのため釈迦、モーゼ、イエス・キリストの教えとクリシュナの教え(ヴァガバッド・ギーター)の共通性を説かれています。
最終的には著者の説く教えの眼目はクリシュナを伝えることにあったと思われます。
著書紹介
ここでご著書を全部紹介しようと思ったのですが、余りにも多すぎてくじけてしまいました。従い少しだけご紹介します。
何事においても、人の講釈を聞くだけでは真実はつかめないと思います。自分で考え判断することが大切ですので一度、著作をお読みになることをお奨めします。
(以下、私の感想)
「人間と生活」
著者の説かれる正道(しょうどう)の原点ともいうべき著作。平易な文章ですが深遠な教えが含まれています。
「八正道の心」 ー釈迦が説いた救いと調和の原点ー
釈迦の教えの根幹とされる八正道を生活に生かせるようわかりやすく解説されています。
「彼岸への道」
著者の霊的体験を踏まえて、正道のあり方を書かれていますが、決して興味本位に流れることがありません。
この世が目に見えない世界と密接につながっていることが理解されるでしょう。
「水霊の旅」
著者の短編物語集です。世に様々な小説がありますが、現実の話を踏まえて書かれているため心の持ち方の大切さが心に迫ってきます。
弘法大師が若い女性の幽霊を救うお話「石仏」や、お釈迦さんの崇高な前生物語「布施波羅蜜」などを読むと心が洗われるような気がします。初めての方にもわかりやすい内容です。
「巨人モーゼ」
第一巻 王子と奴隷
第二巻 遊牧の日々
第三巻 出エジプト
第四巻 十戒
チャールトン・ヘストンの「十戒」の映画を見られた方なら良くわかるのではないかと思います。モーゼの出生から十戒を授かるまでを大河小説風に書かれています。人間モーゼとでも言うべき内容に親しみを持つ方もいるでしょう。
何よりもモーゼの心の動きを、これほど細かく書けるのはどういうわけだろうかと思ってしまいます。聖書に載ってない話もあって大変興味深いものです。
「精神の道標」
著者がイスラエル・エジプトへ旅をした経験を踏まえて、イエスの山上の垂訓の真意を信仰者としての視線でわかりやすく述べられています。
必ずしも今のキリスト教会の解釈とは同じではないと思いますが聖書に興味をお持ちならば参考にされてはいかがでしょうか。
「クリシュナ」
インドの聖典バガバッド・ギーターの解説書です。日本においてこれほど詳しい解説書は類が有りません。学問的見地からではなく信仰者としての立場から解説されていて、その内容は想念、言葉、行為を正す指針となることでしょう。
ギーターはマハトマ・ガンジーが人生の指針とされた本でアインシュタインも愛読されていたそうです。
古来より聖典中の聖典と言われ、多くの聖者がギーターを語ってきました。ギーターを読まずして、インドを語る無かれ。ギーターの原典であるマハーバーラタのお話はインド人で知らない人はなく、テレビでドラマが放映されると高い視聴率になるそうです。
多くの英雄・豪傑が戦う様は、日本で言えば関ヶ原・天下分け目の戦いみたいな感じですが、その物語の中に深い人生観が含まれており、さすがはインドだなと・感じさせられます。
「般若心経」
これほど有名なお経なのに、その解釈が定まらないのはどうしたことでしょうか。釈尊が哲学的で難解な話をされたかどうか疑問です。著者は般若心経は大いなる智慧(大明呪)の教えであり、それを得るカギは大いなる神への祈り(大神呪)だと言われます。心経の結びの「ギャテイギャテイ、、、」の句は真言のため訳してはならないとされますが、彼岸(輪廻から離れた悟りの世界)へ渡る教えだということを意味しています。
「ヨブ記」
旧約聖書のヨブ記は話がくどくどしくて難解なため、通読するのを諦めた方もいるかもしれません。しかし、この解説を読むことによって著者(モーゼ)が何を言わんとされたかを明確に理解できることでしょう。
以前に在籍された団体で書かれた著作を含めれば、とても人間わざとは思えません。
最近、著書の入手が困難になってきたのが残念ですが、まだアマゾンで買える本もあります。
どこまでも謙虚で、慈愛に満ちたお人柄でした。その首尾一貫した教えの素晴らしさは言うに及びませんが、それを実際に行われるお姿を拝見して、このような人が生きておられたとは信じがたいくらいです。
イエスは言われます。「悲しむ者は幸いなり。」人生の岐路に立ったとき、悩みごとのあるとき、どんな時にでも堀田和成氏の著作は必ずや人生の指針となることでしょう。
堀田和成先生のお人柄について
昔、講演会に参加した時、会場で来場者の人たちに丁寧にお辞儀をされている方がいました。良くおいでくださいましたと。それが堀田和成先生でした。いるかいないかわからないほど気配を感じさせない方で、いつも控えめなお姿が印象に残っています。
ある若い人は、先生を乗せた車が講演会場に到着した時に案内係として出迎えました。車からおりてこられた先生を見て緊張しながら深々とお辞儀をしました。そうしますと先生も同じように深々とお辞儀を返されました。その人が頭をあげると先生の頭が下に見えます。そこで慌ててまたお辞儀をしますと、先生がまたお辞儀をされました。それを何回か繰り返したのち、おつきの人に促されて、先生は去って行かれました。
ある冬の日の講演会が終わり先生と幹部の人たちが事務所でぜんざいを食べて歓談されていた時の事です。何も知らずに、ある人が「こんにちわ」と部屋に入ると、皆の咎めるような視線が集まって一瞬にしてシーンとなりました。すると先生は、軽やかな口調で「寒かったでしょう。さあ、ぜんざいでも食べていらっしゃい」と、席を勧められました。その方は先生の差別感のない優しい言葉に胸が一杯になったそうです。断り切れずに、席につきはしたものの緊張の余り、どんな味だったかも覚えていないそうです。
地方で一人暮らしをする母が糖尿病を患い、堀田先生にお手紙で相談しました。①近隣のS病院に入院させたら良いか ②自宅を片付けて住まわせるのが良いか ③大阪に連れてくるのが良いかの3点でした。お答えは、「家を片付けるとなると皆さん大変でしょう。S病院でいいでしょう。姥捨て山みたいなところですが、、、。」とのことでした。
実は母は整理整頓のできない性格で家は荒れ放題。中に住めないので、家の外で毛布にくるまって寝ていて、片付けるのは現実的に困難な状態でした。またS病院は、『入るときは救急車、出るときは霊柩車』と土地の人から《姥捨て山》と陰口をたたかれていました。先生はすべてを見通されていたのです。
ご指導にそってS病院に入院させる運びとなりましたが、不思議なことに母の入院に合わせるかのように若い優秀な医師が赴任してこられました。
なお、ついでに「片づけられない性格は憑依でしょうか」とお聞きしたら、「憑依ではない、性格です」とのお答えでした。喜んでよいものやら複雑な気持ちがしたものです。